兒玉遥

だれかを幸せにするには、自分の健康が第一

兒玉遥

女優・元HKT48

2026/07/07

14歳でHKT48の1期生オーディションに合格し、数々の楽曲においてセンターを務めるなど中心メンバーとしてグループを牽引してきた「はるっぴ」こと兒玉遥さん。

華々しい活躍を見せる彼女には、卒業年の2019年までに約2年間の休業期間がある。ほぼ寝たきり生活となるほど深刻な双極性障害(躁うつ病)を発症していた当時について、アイドル時代と変わらぬ人懐こい笑顔と舌足らずな口調で振り返った。

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Profile

2011年7月10日、HKT48の第1期生オーディションに合格。

同グループのメンバーとして活動を開始し、センターポジションも務める。

2016年には第8回AKB48選抜総選挙で、自身最高となる第9位に輝く。

2019年6月にHKT48を卒業し、女優としての活動を本格化。

Index

    元どおり回復する可能性は「1割」

    双極性障害と診断された際は、子どものころから劇の主役に立候補したり、学級委員になったり、前向きで元気だった自分がまさか、と驚いたという兒玉さん。

    「自分でもおかしい状態だとわかっていたので『やっぱり病気だったんだ』と納得する気持ちもあったんですが、受け入れるまで時間がかかりました。どのくらい深刻なのかもわからず、病気だと知ったところでどうすればいいんだろう?という感じでしたね」

    深刻度をいうなら、医師からは当時、元どおり元気になれる可能性として「1割程度」と具体的に数字で表されている。ただ、彼女の母が宣告されたのみで、自身は聞かされていなかった。

    「そのとき母は『1割の人が元気になれるならがんばります』と返したそうです。私が当時聞かされていたら、判断能力も落ちていたし落ち込みも激しくて、その1割に自分が入れるなんて自信を持てなかったと思うので、母に伝えてくれてよかったと思いました」

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    今も頻繁に電話で話すという母との関係はいたって良好。娘を想う心の強さに救われたこともあるだろう。というのも、宣告内容について本人はおろか、だれにも伝えず一人で抱えたまま娘を“1割”に後押しした人なのだ。

    「私の母は自分の問題と相手の問題をきちんと切り離して考えてくれるので、一緒に落ち込んだり、むやみに自分を責めたりせず、以前と同じように明るく接してくれて、すごくありがたかったです」

    「母自身は『こうなる前にもっとできることがあった』と後悔した部分もあったみたいですけど、それを見せずにいてくれたから私も『迷惑をかけてしまった』とさらに落ち込まずにすみました。『生きていてくれたら、それで充分だよ』と言ってくれて救われましたね」 

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    ▲ HKT48時代に書き溜めた反省ノート。

    できない目標を立てて自分で自分を苦しめていた

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    ▲ HKT48時代に書き溜めた反省ノート。

    昔から成績が落ちると分単位で勉強法を見直すなど真面目な性格で、HKT48に入ってからも“反省ノート”に自身の課題を書き連ね、徹夜でダンスの練習をしたり、無理な食事制限をしたり、ハードな努力を重ねていた。

    「歌もダンスも未経験で入ったというのもあって、『みんなと比べてなにもできていない』という劣等感が強かったんです。しかも私は不器用だから、人の何倍もがんばらないとついていけないと思っていました」

    「毎日なにをどれだけするか目標を立てていたんですけど、冷静に考えたら無理な量を課していて、当然そのとおりにできなくて落ち込むというループに……。自分のマイナス部分を埋めるつもりで目標を立てているのに、達成できないから余計マイナスの印象が強まってストレスばかり大きくなる日々でした」

    初めて休業したのは2017年2月。そのきっかけに2016年末の紅白歌合戦を挙げることも少なくない。AKBグループの中から視聴者投票で選ばれた48人が出場し、舞台上でその順位が発表されるという構成で、兒玉さんはトップ2が発表されるクライマックス直前にステージ中央へ移動したものの、実際は29位だったことでSNS上に視聴者から心ない声が飛び交った。

    スタッフの「上位だと思う人は移動してください」の指示のもと動いたわけだが、自信があったわけではない。直前の総選挙で9位に選ばれ、同等か少し上位を期待したが呼ばれず、いつの間にか1,2位発表の段階となり、進行を妨げないよう慌てて移動したというのが真実だ。

    「あのときには既にうつの症状が出ていたんです。睡眠不足が続いていて、歌も振り付けもフォーメーションも全然覚えられなくて、人と話していても考えがまとまらないなど、違和感がありました。平常時だったらあのタイミングで中央に行くことはなかったです」

    「なんと言ったらいいんでしょう……、リハーサル中や休憩中もずっとアイデアや妄想がドラマのように流れているみたいで、自分の中でなにが起きているのかわからないくらい脳が忙しなく動いているという感じでした。休めばよかったんですけど、当時はその発想がなくて……」

    渦中にいるときは自身の違和感に気づくことが難しく、また、気づいても休むことを選べる人は正直ごくわずかだろう。

    握手会は動物園にいる動物の気持ちだった

    兒玉さんがアイドル活動をしていた2010年代は、紅白歌合戦という国民的番組内で人気投票の順位が発表されたり、握手会に並ぶファンの人数を比較されたり、エンタメとして消費されがちで、当人たちには酷な仕組みになっていたという見方もできる。

    「なにも知らないまま10代で社会に入ってしまったので、いっぱいいっぱいでした。当時はファンの数やブログへの反応など、数字として見えることが多くて、そこで結果を出さないと認めてもらえないと思い込んでいたんです」

    「センターを任されることもあったので、『実力も人気もないのになんではるっぴがそこなの?』と思われているんじゃないかと被害妄想して必死になっていました。今の私だったら、できないことはできないと言えますが、当時は目の前のことで精一杯で……。心を病むアイドルが多い理由もそこにあるのかもしれないなんて思います」

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    ここ数年は、兒玉さんのようにメンタル不調や病気などを理由に休業するタレントも増え、それこそが同じように悩んでいる方たちの救いになっていることも感じられる。

    「握手会はメンバーみんなが横並びになるので、ファンが長い行列を作っているレーンと全然並んでいないレーンが隣になることもあり、いま振り返ってもすごい光景だったなと思います」

    「自分が動物園にいる動物のように思えて『ライオンは人気なのに私の前には全然並んでいない!』と比べちゃうんですよね。当時は自己肯定感を保てず、どんどん低くなっていくのが自分でもわかりました」

    「全員に個性があって、それが本当に素晴らしい魅力なんだって頭では思えるんですけど、やっぱり人気度合いみたいなものが目に見えて突きつけられるような気がして、当時はポジティブに受け止める方法が見つけられなかったんです」

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    「私がいなくても社会は回っていく」

    責任感の強い兒玉さんが休業を決意したのは周りに勧められたから。眠れない日が増えた、取材でなにか聞かれても言葉が出てこない、そういった症状は他人の目にも明らかだったのだ。

    「休むという選択肢があることに気づいていなかったんです。うつ病の症状が進行するほど休むべきなのに、もうそのときには判断能力が鈍って休むことができないという人も多いんじゃないかと思います。それがこの病気の怖いところです」

    「私の場合は周りの方々に言っていただいて決断できたんですけど、自分では居場所がなくなってしまうから絶対に休みたくない!と思っていました」

    実際、彼女は最初の休業からわずか約2か月で復帰している。しかし、やはり充分とはいえず、その直後に再び休業。2回合わせて約2年間、芸能活動から離れることとなった。

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    「今は、この先10年20年走るために必要な2年間だったと思えます。自分の心や体を壊してまでがんばらなきゃいけないことなんて、なに一つないんですよね。人それぞれお金や将来の不安など、課題はあるかもしれませんが、1週間でもいいので自己投資だと思って休んでほしいです」

    「意外と一人欠けても社会は回ります。私も休んだら迷惑をかけてしまうと思っていたんですけど、実際グループはなにも変わらないとわかり、少し悲しくもありましたが(笑)、でもそれが現実です」

    企業も属人性の高い体制は再現性や生産性、さまざまな観点から避けるのが通常であるため、「自分だけは休めない」と一人で走り続ける必要はないのかもしれない。

    「『人を頼ってもいいんだよ』ということも伝えたいです。私自身、長女ということもあって、弱音を吐いたり、だれかを頼ったりすることが苦手なんですけど、今は親しい友だちや家族に定期的に話してストレスを溜めないようにしています」

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    ほぼ寝たきり生活から、心理カウンセラーの資格取得

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    休業中の過ごし方を尋ねると、ほとんど寝て過ごしたという。

    「あれが絶望なんだろうなと思います。目が覚めても、やりたいことも、生きる気力もなにもない、ただみんなに迷惑をかけている、どうしよう。そればかり考えて『明日なんて来なくていいのに』と思っていました」

    回復率が1割と診断されるほど病が深刻化していたのだ。その状況から希望を見出すのは奇跡に近いことだっただろう。しかし彼女は前を向く。心理カウンセラーを志し、資格取得に向けた勉強を始めたのだ。

    「ちょっとずつ元気になってきたら、自分の病状を客観視できるようになったんです。それで『こんなに大変な病気だったんだ』と冷静に捉えたときに、芸能界に戻ったらまた同じようになってしまうかもしれないと恐怖を感じ、復帰という選択肢を捨てました」

    少しずつ気持ちが浮上していったことは、当時の反省ノートからもうかがえる。以前はネガティブな言葉ばかりが並んでいたそれには、前向きな言葉も現れ、その日の出来事を記録する日記のような役割を担うようになっていた。

    「自分の経験が生かせるかもしれないと思ってカウンセラーを目指しました。海外にはカウンセリングに通う習慣が根づいている国も多くありますが、日本はそうではないので、私も病院以外で話を聞いてくれる場所があるなんて知りませんでした」

    「早い段階でだれかに相談したり、それによって自身の回復能力を養ったりできていれば、病状も深刻化せずにすんだのかなと思うので、ほかの人がそうなる前に助けられたら幸せだなと思ったんです」

    双極性障害を公表することで示したファンへの誠意

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    アイドル活動をしていたころに移籍の話が持ち上がった事務所から、また声をかけられた。芸能界には戻らないと決めていたものの、改めて自分自身と向き合ってみると、やはり子どものころから自己表現するのが好きだったと思い出す。それで「できなかったら辞めてもいい」と言い聞かせて復帰を決断した。

    「もちろん無責任に考えたわけではないです。それまで自分を追い込みすぎてしまっていたので、いい意味で自分に期待しないようにしようと決めたら、意外と続けられて今の私がいるという感じです」

    「たぶんこういう病気になる人はがんばり屋さんが多いと思うので『やってみてから考えよう』くらいの楽観さを持つことが大事だなと実感しました」

    インタビュー中、兒玉さんの口から何度も「卒業公演」という言葉が飛び出て、ファンに挨拶できないまま去ってしまったことに後ろめたさを感じていることがうかがえた。復帰を決めた背景には、当時からのファンに恩返ししたいという気持ちもありそうだ。

    実際、当時は伏せられていた休業理由を明かした理由について尋ねると、こんな答えが返ってきた。

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    「芸能活動をまた始めるにあたって、もう同じようにならないという自分との約束でもあるんですけど、やっぱりそれ以上に、フェードアウトというかたちで卒業してしまったので、応援してくださっているみんなに事実を話すことが最低限の誠意の示し方かな、と……」

    兒玉さんの話し方は、自分のことを語っているようで、第三者へのメッセージでもあり、だれかに伝えることを第一に考えている人のそれだと感じる。

    それは常に目の前のファンを笑顔にしてきたアイドル活動によって身についたものかもしれないが、そのなかで苦しんだ過去を後悔することなく今「周りを幸せにするには、まず自分の健康ありき」と言いきれるほど乗り越えたからこそ、この耳に素直に響くのかもしれない。