不登校になったのは、同級生とのコミュニケーションに悩み始めた中学時代。きっかけは、仲良くしていた友だちと別の部活を選んだことだった。親しくしていても、他意のない些細なことがきっかけで、仲違いに発展することがおおいにありえる年頃だろう。
「当時は学校が世界のすべてだと思っていたので、そこに居場所がなければ自分のいるべき場所はないと思っていました。余計な心配をかけたくないから家族にも言えなくて、一人で抱え込んで、……私の『暗黒時代』です(笑)」
Profile
兵庫県伊丹市出身。16歳で芸能界デビュー。2017年本名の有村藍里として独立。独立を機に積極的に女優としての活動も始め、映画・ドラマ・舞台・テレビなどにも多数出演。2019年にはフォトエッセイ「1mmでも可愛くなりたい」を出版。2020年「with(講談社)」にてコラムの連載をスタートし、2021年にアパレルブランドをプロデュース。2022年には自身のプロデュースコスメがデビューするなど、ファッションや美容関連にも活動の幅を広げている。
Index
不登校になったのは、同級生とのコミュニケーションに悩み始めた中学時代。きっかけは、仲良くしていた友だちと別の部活を選んだことだった。親しくしていても、他意のない些細なことがきっかけで、仲違いに発展することがおおいにありえる年頃だろう。
「当時は学校が世界のすべてだと思っていたので、そこに居場所がなければ自分のいるべき場所はないと思っていました。余計な心配をかけたくないから家族にも言えなくて、一人で抱え込んで、……私の『暗黒時代』です(笑)」
当時は毎朝きちんと登校時間に制服を着て家を出ては身を潜め、母が仕事へ出かける時間を見計らって家に戻っていたそう。母には今もそのことについて直接話したことはなく、当時気づかれていたかどうかわからないと言いながら、「もう乗り越えたから大丈夫」と笑顔を見せた。
「先生に相談するなど、もっと自分から行動すればよかったのかもしれないですが、がんばれなくて諦めて不登校になったので、家族に気づいてほしいという気持ちもなかったです。当時、母子家庭になったばかりで母も大変な思いをしながら私たち姉妹を育ててくれました」
その後、高校入学とほぼ同時に芸能界入り。自ら事務所を見つけ、面接を受け、家族には事後承諾といったかたちで伝えたという。
「中学時代は学校に行けないし、友だちもいないし、外に遊びに行くということもなかったので、社会との接点がほとんどありませんでした。そんななか、当時ガラケーで撮影スタジオのモデルについてのサイトを見つけ、初めてそういう仕事があるんだ、と知ったんです」
社会を知らない少女の目に新鮮に映った芸能界。とはいえ、当時は大きな夢を抱いてその扉を叩いたわけではなかった。
「違う自分になれるのかもしれない、という思いだけで決めました。未成年で親の承認が必要だったので、面接に受かってから書類を持って『事務所に入りたいから書いて』と伝えたら、すぐ受け入れてくれました」
その後がむしゃらに活動するも、20代に入り、オーディションやコンテストで思うように自分を表現できず、立ち止まってしまったように感じたこともあった。
「事務所の中で私だけが受からないというときもあって、『やっぱり向いていないのかな』と思う瞬間が増えていきました。一緒にオーディションを受ける子はみんな見た目も美しいし、志が高くて前向きにがんばっているのに、私は彼女たちと比べて劣っているんじゃないかな、と……」
それでもやめるという選択肢はなかった。
「16歳のときにこの世界に入り、いろんな人に出会って、本当に少しずつ自分が変わっていって、もとの自分ではない自分になれるかもしれないと思えた瞬間がいくつもあったんです。それに、それまでひとつのことをこんなにも長く続けられたことがなかったので『私にはこれしかない、それならここから離れたくない』と思いました」
撮影会のたびに表情やポージング、表現方法を学んで次回に生かす、そんな日々の努力はファンによる当時のブログからも見つけることができる。
「自分に自信がないと言ったら、応援してくれている人たちに失礼だとは思うんですけど、同じように活動している子たちと比べて自分はなにも持っていないと思うことが多かったです」
「それならせめて求められる自分を表現していこうと思って、覚えてもらうために黒髪ロングヘアを保って、一人ひとりに『いいな』と思ってもらえるポイントを研究しながら励んでいました」
人間関係の悩みから不登校、そして芸能界入り、その後スランプに陥るも自身の努力で脱却するなど、何度転んでも立ち上がったからこそ今の有村さんがいる。けれど、リスタートを切るためには立ち止まる時間も必要だった。
「不登校になったときも、芸能生活のなかで思い悩んでしまったときもそうでしたが、ある日突然なにも考えられなくなるというか、本当に頭の中が無になったんです」
「私は人より歩むペースが遅いから、その分たくさん走らないと!と思っているのに、思うように動けなくなって、がんばれない自分を『許せない』と感じるようになってしまい、突然プツンと糸が切れたように頭の中が真っ白になってしまいました」
最初はとにかくその感覚が怖くて、このままなにも考えられなくなったら、このまま動けなくなってしまったらどうしよう、と焦る気持ちでいっぱいだったそう。しかしそれも何度か繰り返すうちに活路を見出すようになる。
「私の場合は、極端なことをしないとリスタートできないと気づきました。臆病だから、立ち止まる時間が長くなればなるほど怖くなってしまうんです。だから、それを打破するには思い切って振り切るしかない。『ゼロかヒャクか』という考え方ですね」
そんな有村さんにヒャクに振り切るための気合いの入れ方を聞いてみると、なんとも体を張った答えが返ってきた。かつてはピアス穴を開けること、そして今はいろいろなものに挑戦することだと話す。
「低迷しているなと思ったら遊園地に行ってジェットコースターに乗ることもあります。苦手なので、いつも上に上がっているときに後悔するんですけど(笑)。あとは、3年くらい前にスノボに初めて挑戦してみました」
「やってみたら好きになるかもしれないと思ったんですけど、もうやりたくないです(笑)。でもそれを知ることができたので、やってみてよかったと思います。定期的に新しいことを始めて、自分の知らなかった世界を見てみるという行動はしているかもしれません」
今はバンジージャンプや無人島生活にも興味があるそう。
「やってみて『意外と私って強いんだ』と気づくことができたら、それがまた自己肯定感を高めることにつながるかもしれないと思うと、今はなんでも挑戦してみたいですね」
モチベーションを支えているのは、自分を知りたい、自分と向き合いたいという気持ちなのかもしれない。
「私は昔から家から出ずアニメや漫画を見ているのが好きで、人と比べても『してこなかったこと』のほうが多いと思うので、今は定期的に引きこもって一人で静かに過ごす日を作りながらも、アクティブに動く日も作って、自分の『好き』を探しています」
丸一日パジャマのまま声を出す機会もなく過ごす日もあれば、何件もスケジュールをこなす日もあり、自分なりのバランスの取り方をすでに見つけている様子の有村さん。それは人生のなかで“立ち止まる”という経験をしたからこそ身についたことかもしれない。
「限界を迎えてしまう人は、きっと普段がんばりすぎていて、気づいたときにはキャパオーバーで動けなくなってしまっているのではないでしょうか。そうなると立ち上がるのにも時間がかかって、その間もみんなから置いていかれるのではないかと焦ったり、不安を抱えたりすると思います」
「でも休むことは悪いことではありません。ちょっとしんどいなと思ったら早めに休めば、リスタートも難しくないんです。私も昔はそれができなくて、限界を突破した結果、長い休養が必要になってしまい、そのほうがずっと辛い思いをすることになりました」
立ち止まる時間が長くなればなるほど、焦燥感や不安感もふくらみ、そして自分のことを嫌悪し始めてリスタートが遅れる、その経験を“適度に休憩する”という解決策を見つけた今は笑顔で話す。
「でもがんばっているときこそ自分の状態を見極めるのは難しいし、休む勇気を持つことも簡単ではないですよね」
休息とリスタートを経験してきた有村さんは、ご自身の限界を知るサインについても教えてくれた。
「たぶん手に力が入らなくなるのかなと思うんですが、物を落とすことが増えてきたら『そろそろ休まないとやばいかもしれない』と感じます」
「私の場合は目に見えてわかる変化ですが、みなさんもなにか違和感を覚えたら注意してみてください。『いつもとちょっと違うな』というのを見逃さないようにしてほしいです」
「リスタートのタイミングは人それぞれ違うかたちで訪れると思っているんですけど、でもだれしも『やめたくない』という気持ちや『手放したくない』という気持ちがあれば、そう思う瞬間がチャンスなのかもしれません」
「対象がなんであれ、興味を持てるというのは前向きな感情じゃないですか。あとは、それをやってみるという一歩踏み出す勇気が必要なだけなので、その気持ちさえ持ちつづけられれば、いつでもリスタートできるのかなと思います」
実際に、有村さんは“ここから離れたくない”という気持ちから、ご自身を奮い立たせて今も華やかな世界で笑顔を見せている。そして立ち止まっていた期間についても、こんなふうに前向きに振り返った。
「立ち止まったことで、改めて自分という存在についていろいろと考えることができました。このお仕事が好きなんだと再確認できて、『やっぱり続けたい!』と思えたので、あの時間は私の人生にとって大切だったと感じます」
「そのうえで、もっと自分自身に目を向けるべきだと気づかされました。『もっとがんばらなきゃ!』と走りつづけてきたけど、心は置いてけぼりだったなと思い至ったんです」
30代に入ってからは学ぶ意欲も高まり、今は大好きな美容に関する資格取得のために日々励んでいるそう。
「今まであまり積極的には勉強してこなかったんですけど、これからの人生において武器になるかなと思ってがんばっています」
武器はだれかと戦うときばかりではなく、自身を守る手段としても重宝する。有村さんは葛藤の日々を受け入れ、乗り越えた今があるからこそ、これからも自分らしく歩みつづけるために必要なものをもはや知っているのかもしれない。